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気がつかないのは本人のせいではないのではないか

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悪気もなく、気がつかないで相手を傷つけてしまうというのはつらいものです。でも気がついていた上で、わかった上で傷つけているわけではないのですから、それは本人のせいではないと思うのです。本人のせいではないというのは気がつかないこと自体が許されるべきだというわけではなくて、気がつかないパーソナリティーを築いたのは本人ではなく、その周りの環境なのだから、責められるべきは周りなのではないかということです。
気がつかないことが問題なのではなく、気がついていなかったということに気がついたときにどう思うか、どう行動できるか、それが一番大切なことなのだと思いますし、それと同じくらいにどう気づかせてあげられるかということも大切だと思います。気づくことのできない人に対して気がつかないことを責める前にそれを気づかせられなかった自分のことも省みる必要があるのではないかと。
「気がつかないということは、気がつけないということなのだから、気がついていてわざとやっているよりもたちが悪い、だって直る見込みがないから。」というのは筋が通っているようでいて、自分がその気がついていない人に対して気づかせてあげるという努力を放棄しているということの宣言ではないのか、と思います。その言葉を自分の子供に対しても言えるのか、と。そこには自分ができることはないのか、と。
ただ、それでも、だからこそ自分は色々なことに気がつける人間になりたいと思います。自分が気がついていないということに気づけたから、そういってくれる、わからせてくれる存在がいたから。そういうことを気づかせてもらえるというのはそれを言う意味があると思ってもらえたからなのであって、そう思ってもらえるかどうかは自分にかかっているのかもしれません。
そういう意味では気がつかない、気がついていないことを気づかせてもらえないというのは自分の責任なのかもしれませんけれども。
何を言っているかわからないと思いますが、あまりわかってもらおうという話でもないので良いのです。ごめんなさい。
何かに文句があってこういうことを書いているのではないです。むしろ逆に感謝の気持ちで書いているのです。そこは誤解なきよう。
何事も人生は経験なのです。そしてバカボンのパパが言ってました。「これでいいのだ。」と。たぶんちょっとセンチメンタルなんです。

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